SNSで「#猫は液体」というハッシュタグと共に、信じられないほど狭いガラス瓶や段ボール箱にみっちりと詰まった猫の写真が投稿され、日々私たちを癒やしてくれます。これは単なるユーモアやミーム(ネタ)だと思っていませんか?
実は、「猫は液体である」という命題を、真面目に物理学(流体力学)のツールを用いて検証し、見事「イグ・ノーベル賞」を受賞した物理学者が存在します。
本記事では、その受賞論文をもとに、猫を「液体」たらしめる驚異のレオロジー(流変学)と、それを可能にする神秘的な骨格構造の秘密を、科学的な根拠に基づいて分かりやすく解説します。
1. イグ・ノーベル物理学賞受賞!「猫は液体」という真面目な研究
2017年、オランダのパリ・ディドロ大学(当時)の物理学者マーク・アントワーヌ・ファルダン(Marc-Antoine Fardin)博士は、「猫のレオロジー(流変学)について」という論文で、イグ・ノーベル物理学賞を受賞しました。
イグ・ノーベル賞は「人々を笑わせ、そして考えさせる」研究に与えられる賞ですが、ファルダン博士の研究は、流体力学の専門誌である『Rheology Bulletin』に掲載された、非常に厳密で真面目な物理学研究です。
物理学における「液体」の定義とは?
博士はまず、物理学における一般的な「液体」の定義から出発しました。
「液体とは、容器に合わせて自らの形を変化させ、かつ体積を一定に保つ物質の状態である。」
博士は、インターネット上に溢れる「狭い容器(瓶、ボウル、箱など)に入り込み、その形に完全にフィットしている猫」の写真こそが、この定義を完璧に満たしていることに着目したのです。
2. 猫を「液体」たらしめる、驚異のレオロジー(流変学)
猫が狭い場所に完璧にフィットする現象を理解するために、博士はレオロジー(Rheology / 流変学)という、比較的新しい物理学の分野の概念を導入しました。
レオロジー(流変学)とは?
レオロジーとは、物質の「変形(Deformation)」と「流れ(Flow)」に関する学問です。
通常、私たちは物質を「固体」か「液体」のどちらかだと考えますが、自然界の多くの物質は、その中間の性質を持っています。例えば、マヨネーズや歯磨き粉、泥などは、力を加えないときは固体のようですが、力を加えると液体の流れます。このような性質を「粘弾性」と呼び、レオロジーはこの複雑な挙動を研究します。
すべての物質は「時間」によって液体になる?
レオロジーの世界には、「十分な時間さえあれば、すべての物質は流れる(液体になる)」という、 Heraclitus(ヘラクレイトス)の「万物は流転する」を地で行く哲学的かつ物理学的な鉄則があります。
猫が「液体」になるか「固体」になるかを決定するのも、実は「時間」なのです。
3. 「デボラ数」が解明する、猫が液体化する瞬間
ファルダン博士は、猫が「固体」のように振る舞うか、「液体」のように振る舞うかを数値化するために、「デボラ数(Deborah number, $De$)」という、レオロジーにおける重要な無次元数を用いました。
デボラ数とは?
デボラ数は、以下の式で定義されます。
$$De = \frac{\tau}{T}$$
- $\tau$(タウ): 物質の緩和時間(Relaxation time)。物質が力を加えられてから、その変形に「適応(リラックス)」するのにかかる時間。
- $T$: 観察時間(Observation time)。私たちが物質を観察している、または物質が容器に入っている時間。
デボラ数が教える、猫の状態
デボラ数の値によって、猫の状態は以下のように定義されます。
| デボラ数の値 | 観察時間(T)と緩和時間(τ)の関係 | 猫の状態(振る舞い) |
| $De \gg 1$ (非常に大きい) | 観察時間が非常に短い($\tau$ より小さい) | 固体(形を保ち、跳ねる) |
| $De \ll 1$ (非常に小さい) | 観察時間が非常に長い($\tau$ より大きい) | 液体(容器に合わせて流れ、フィットする) |
具体例で考える「猫の液体化」

猫の「緩和時間(適応にかかる時間)」は、猫の年齢や性格、容器の形状、猫がどれだけリラックスしているかによって異なりますが、およそ1秒から数分程度と考えられます。
- 固体としての猫 ($De \gg 1$): 猫があなたに向かってジャンプする瞬間を想像してください。この観察時間は1秒未満($T < 1s$)です。緩和時間より圧倒的に短いため、猫は形を一定に保った「固体」として振る舞い、あなたの腕にしっかりと着地します。
- 液体としての猫 ($De \ll 1$): 猫が心地よいガラスボウルを見つけ、そこに入り込んで丸くなりました。あなたが1分以上($T > 60s$)その猫を観察していると、猫はゆっくりとボウルの形状に合わせて自らの体を完璧に変形させ、隙間なくフィットさせます。このとき、デボラ数は小さくなり、猫は物理学的に「液体」として振る舞っていると定義できるのです。
4. 骨格構造の秘密:浮遊鎖骨と柔軟な脊椎
ファルダン博士の流体力学的な分析は、猫の形が変わる「時間的側面」を解明しましたが、なぜ猫がこれほどまでに信じられないほど柔軟に変形できるのか、という「生物学的側面」は、獣医解剖学によって説明されます。
猫の驚異の柔軟性を支えているのは、主に鎖骨と脊椎の特殊な構造です。
1. 退化した「浮遊鎖骨」
人間の鎖骨は、胸骨と肩甲骨をしっかりとつなぎ、上半身の骨格を強固に固定する「梁(はり)」の役割を果たしています。このため、人間は自らの肩幅より狭い場所を通り抜けることができません。
一方、猫の鎖骨は退化して非常に小さく、他のどの骨とも関節でつながっていません。 筋肉の中に「浮いている」状態であるため、「浮遊鎖骨」と呼ばれます。
この構造により、猫は肩の関節を驚くほど自由に内側へ折りたたむことができます。頭さえ通れば、体幅がその数分の一の狭い隙間でも、肩を縮めてすんなりと通り抜けることができるのです。
2. 人間の1.5倍!柔軟な脊椎
猫の脊椎(背骨)は、人間よりも数が多く、一つ一つの椎骨の間隔が広く、それを支える筋肉や靭帯も非常に柔軟です。
人間の脊椎が安定性を重視しているのに対し、猫の脊椎は柔軟性を極限まで高めており、人間の1.5倍近くも柔軟に湾曲・回旋させることができます。
この柔軟な脊椎により、猫は自らの体を螺旋状にひねったり、 U字型に折り曲げたりして、狭い容器のカーブに完璧に沿うことができるのです。
5. まとめ:猫は「液体」でもあり「固体」でもある
ファルダン博士の研究は、ネットミーム「猫は液体」が、単なるジョークではなく、「デボラ数」という時間軸の概念と、鎖骨・脊椎という解剖学的な柔軟性によって支えられた、物理学的に厳密な現象であることを証明しました。
デボラ数が教えてくれる最も重要な事実は、物質の状態は固定されたものではなく、観察する時間によって変化するということです。
猫は、ジャンプするときは固体、ガラスボウルでくつろぐときは液体、そして時には(イグ・ノーベル賞論文でも少し触れられていますが)非常に高齢でリラックスしきった状態では、空間全体に拡散する「気体」のようにさえ振る舞うことがあります。
次に、あなたの愛猫が狭い場所で液体化している姿を見かけたら、それは骨格の秘密と物理学の鉄則が融合した、神秘的な瞬間であることを思い出してください。

参考文献・出典リンク
- 主論文(Rheology Bulletin)
- Fardin, M. A. (2014). On the Rheology of Cats. Rheology Bulletin, 83(2), 16-30.
- イグ・ノーベル賞 公式発表(Improbable Research)
- The 2017 Ig Nobel Prize Winners
- 詳細リンク:
- The 2017 Ig Nobel Prize Winners
- The 2017 Ig Nobel Prizes were awarded on Thursday night, September 14, 2017 at the 27th First Annual Ig Nobel Prize Ceremony, at Harvard’s Sanders Theatre. The ceremony was webcast .
- PHYSICS PRIZE [FRANCE, SINGAPORE, USA] — Marc-Antoine Fardin, for using fluid dynamics to probe the question “Can a Cat Be Both a Solid and a Liquid?”
- REFERENCE: “On the Rheology of Cats,” Marc-Antoine Fardin, Rheology Bulletin, vol. 83, 2, July 2014, pp. 16-17 and 30.
- WHO ATTENDED THE CEREMONY: Marc-Antoine Fardin


